私たちは日々煩悩に溢れ、矛盾を抱え、生きています。時には思いがけず、がんばれたり。また、別の時には思ってもみなかったほど心が疲れてしまって、動けなくなってしまうことも。
世の中に溢れるたくさんの刺激。世間の人々の楽しそうな動向。流行りの場所に満ち溢れる人々や行列。そんな中に自分も居て思い切り楽しい時はそれでいい。誰かの成功や栄誉、幸せを喜べるときは、思い切り一緒に喜べばいい。
そうできない時、そうしたくない時、そういうものから離れていたい時。心が迷子になっている時、何をしても満たされない時、心が疲れてしまった時。
思い出してもらえると気持ちを軽くできる、意図せずとも心が軽くなる。たとえ苦しくても、こんなこともあるよな、と諦めがつく・納得がいく…そんなフレーズをお伝えします。
ヨガ哲学、アーユルヴェーダ、心理学などを学んでいた中で出会た言葉や文章の数々。私自身、ハッとさせらたもの、ラクになれたもの、思考を切り替えることができたものなど。自身の経験から今回は3つを厳選してお伝えします。言葉・フレーズ3選と、その考察について。誰かの心に届き、響き、留まることがあれば、幸いです。
気持ちが変わる、明日が変わる思考3選
全てのものは移ろいゆく
諸行無常
平家物語の冒頭にも出てくるフレーズで、学生時代に見聞きした人も多いはず。仏教の教えで、どんなに栄華を極めたとしても必ず終わりがくる、この世の無常を説いた言葉。
私たちが認識できる物質世界はすべて常に動き、形状を変え、変化し続ている。山や川のようにずっとあると思っているものでさえ、刻一刻とかたちを変えているわけです。
若く美しい容姿を誇っていたとしても、その若さゆえの美しさや容姿は、誰にも等しく訪れる時間の経過・年をとるとともに移ろい変化してゆくもの。良かったことも時間の経過とともに変わる。
しかし、逆に言うと良くないことも常に同じではない、ずっととどまっているわけではない。この世の中は諸行無常。常に変わりゆくもの。その苦しみはいつまでも続かないことを知りましょう。
災難が起こった時、苦しい時に思い出すと、気持ちを楽にしてくれる言葉だと思います。諸行無常という言葉で表すように、世の中の全てのものは無常であると受け止められるだけで、人生は軽くなり得る。
また、上手くいっていて驕っている時にも思い出すべき言葉でもありますね。
世界はすべて自分自身の投影物
目の前の世界は、全て自分で創っている
自分の生きる世界は、全て自分で創っている。自分の人生は環境でも他人でもなく、全て自分で創っていることを忘れない。
ヨガ思想や哲学などに触れていると、自分の生きる世界は、すべて自分の思考が創りだしている、ということをたびたび学ぶ機会が訪れます。
全ては自分の考え方、捉え方、思考しだい。
解っているようで解っていない。頭では解っているけれど、感情や行動が伴わないこともしばしば、だったりします。
これをより分かりやすく解説するために、ある書籍を引用します。
外界に見る差異のすべては、心の作用の所産である。たとえば、あなたは生まれてから一度も父親に会ったことがなく、あなたが十歳のとき、その父親が帰ってきたとしよう。
彼がドアをノックする ― あなたがドアを開けると、そこに見るのはあなたの知らない顔だ。あなたは母親のところへ走って行って、「お母さん、誰か知らない人が来ているよ」と言う。彼女が出てきてみると、そこには長い間家を空けていた夫がいる。彼女は大喜びで夫を迎え、「この人はあなたのお父さんよ」とあなたに紹介する。あなたは「あぁ!お父さん!」と言う。
ついさっきまで彼は見知らぬ人だった、それが今やあなたのお父さんになった。彼がお父さんに変わったのか? いや彼は同一人物だ。あなたがまず”見知らぬ人”と言う想念を作り上げ、次にそれを”お父さん”に変えた、それだけのことである ー
外界のすべてがあなたの思考(想念)と心理的態度に基づいている。世界はすべてあなた自身の投影物だ。あなたの評価はまたたく間に変わる。昨日は「恋人」だった人が、今日は「見るのも嫌」かもしれない。
このことを忘れずにいるならば、あなたは外的な事象にそれほど重きを置かなくなるだろう。ヨーガが外界の変革についてあまりこだわらないのそのためだ。
インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガ・スートラ より
上記は 『Integral Yoga パタンジャリのヨーガ・スートラ』という書籍に記載されている、とある一節です。「ヨーガスートラ」というヨガの実用的聖典を解説した本になります。
その一部分で、私たちの心の作用について、具体例を挙げて解説しています。初めてこの本を読んだとき、面白い!なるほど!と実感し、私にとってはとても印象的でよく覚えている一節です。
あなたも似たような経験をしているはず。
例えば、何とも思っていなかったただの同僚が。意識をし始めた途端、気になる人になり、好きな人になり。やがて彼・恋人という存在に変容していく。彼は何一つ変わっていないのに、自分のカレに対する見かたが変わっただけで、何にも感じない人から、ドキドキする存在に変わったりするワケです。
肝心なのはあなたが相手を、目の前の世界を、どう見るかで世界は成り立っているということ。このことは頭に入れておきたいなと思った思想です。
たとえば今がどん底に思えても、行き詰っていても、何歳でも。これから自分の思いのままに人生を創っていけると知りましょう。いつ、どんな時でも、いつからでも、自分の人生はリクリエイト可能ということです。
多くの苦しみは執着から生まれる
執着を手放す
諸行無常と同様に、どのような関係も出来事も、いつか終わりが来る。いつか別れが来ることを知る。
執着から離れる。
あらゆる分野でもよく聞くフレーズです。文字にするのは簡単だが。実践は難しいことのうちの一つ。言うは易く行うは難し。
諸行無常、全ては変化するからこそ、一切の執着を手放しておくのは、心の準備とも言えるでしょう。大事なペットとの別れ、家族との別れ、好きな人との別れ、大切な人との別れ。
全てがいつか終わりがくるもので必然でしかない。ならばそのように心しておいた方がいい。心の準備をしておくということでもあります。
物においてはなお然り。死ぬときには何も持っていけないのだから、物に執着してたら大切な時間や大切な何かを失っている場合もあるかもしれない。
何事にも誰にも執着しないように。とてもとても、難しいことだから、折に触れて思い返さないといけないフレーズ。
これに関しては、藤井風くんの「帰ろう」という楽曲もまた、参考になります。難しい書籍や哲学者、賢人たちのコトバよりも、より身近な、憧れの、好きなアーティストのコトバの方が腑に落ちることもありますね。
ああ 全て与えて帰ろう
ああ 何も持たずに帰ろう
与えられるものこそ 与えられたもの
ありがとう、って胸をはろう待ってるからさ、もう帰ろう
幸せ絶えぬ場所、帰ろう
去り際の時に 何が持っていけるの
一つ一つ 荷物 手放そう憎み合いの果てに何が生まれるの
わたし、わたしが先に 忘れよう藤井風 帰ろう 歌詞より 一部抜粋
去り際に、何も持っていけないのだから一つ一つ手放そう、という部分が特に、納得!!と感じました。
気になった人はぜひ、この楽曲を聴いてみてください。
自分の機嫌は自分でとる
私たちの多くは聖者・聖人になりたいわけでもないし、なれないでしょう。理想的な思想・思考。頭では解っていても心が暴走して、そのような思考ができないこともしばしばあります。正論だけでは生きていけないのが私たち。
しかしながら、古来から使い古されてきた思考や思想の中には、なるほど!そうした方が自分自身の心が苦しくならずに済むな!気持ちが楽になるな!見方を変えることができるんだ!というものがたくさんあるのですね。だから、どんな国でも、どんな時代でも、真理としていつまでも残っているのだと思います。
苦しくて苦しくて仕方がなくなってしまった時。上を向けない時。喜怒哀楽すべてにおいて誰かへの強い感情に溺れてしまいそうな時。他のことが見えない時。そんな時にこそ。思い出したいフレーズです。
そんな苦しい時にだけ思い出すというのは、実は難しいことなので。何事においてもそうですが、ふだんから時おり思い出しておくと習慣づけができます。習慣化が大切!というワケですね。自分で自分の機嫌をとる習慣づけですから、あなた自身のためになり。それが結局は家族や周りの人のためになります。思考・意識のトレーニングとでもいいましょうか。
私自身は常日頃できてるから、みなさんもやるといいですよと、上から目線で伝えているのではなくて。自分自身にも、いや、むしろ自分自身に言い聞かせながら、この記事を書いています。