ヨガの効果

ヨガ哲学を学んだがゆえに生まれる葛藤

ヨガ哲学を学び始めてから、ふとした瞬間に
「こんな自分でいいのかな?あれもこれもできていない」
「ヨガをする者としてふさわしくないんじゃないか」
と悩んでしまうことって、ありませんか?

以前、クライアントさんから吐露された想いや、私自身もふと思い詰めたり葛藤し続けていた(いや、今でもしてるな)テーマについてです。

ヨガ哲学に真剣に向き合っているからこそ生まれる葛藤…
それは、成長のプロセスにある証でもあり、実はとても自然なこと。

「ヨガ哲学に出会ったがゆえに苦しくなってしまった人」へ、安心感を届けることを目的として書きました。日常と哲学をつなぐ心の余白って大切だな、と思い至った今の心境を書いてみます。

ヤマ・ニヤマ、離欲 と あなたの日常

ヨガ哲学・ヨガに真剣に向き合っていると、こんなシーンで悩むことがあるかもしれません。

例えば——

  • 甘いものをたくさん食べたら、「欲に負けてしまった」と責めてしまう
  • ネガティブな感情に飲み込まれて、「これじゃ非暴力(アヒンサー)じゃない…」と落ち込む
  • 日々の行動が「ヨガをしている人としてどうなんだろう」と気になってしまう

こうした葛藤は、ヨガ哲学に真剣に向き合っているからこそ生まれる“通過点”のようなもの、とも言えます。
そしてその背景の、「ヤマ・ニヤマ」や「離欲(ヴァイラーギャ)」といったヨガの教えについて、いまいちど考察してみましょう。

ヨガ哲学にでてくる「ヤマ・ニヤマ」「離欲」って?

ヨガ哲学についてよく知らない、なんのこっちゃ?という方に向けて補足しますと、これらは、ヨガの古典『ヨーガ・スートラ』の中に出てくる、とても大切な教えです。ここで全てを記述することはできないので、ほんの一部をシンプルに説明しますね。

▷ ヤマ(Yama)=人との関わりで大切にしたい態度

  • 他者を傷つけない(アヒンサー)
  • 正直であること(サティヤ)
  • 欲張らないこと(アパリグラハ)など

▷ ニヤマ(Niyama)=自分自身との向き合い方

  • 清らかさ(シャウチャ)
  • 満足すること(サントーシャ)
  • 自己鍛錬(タパス)など

いわば「よりよく生きるための心のガイドブック」のようなもので、これらは“こうしなければならない”というルールではなく、私たちが内側から整っていくためのヒントです。

聖典、またはそれを解説している本に書かれている文言をみると、とても断定的で、こうでなければならない!という印象を受けてしまします。いや、私もそうでした。だからこそ葛藤しまくり、できない自分はダメ人間!?と落ち込んだことも・・・🥲

でも「こうでなければならない」、ではなく、あくまでも推奨、「こうできたらいいよね~」くらいに捉えてみましょう!実際、私達は完璧でななく、聖人でもなく、社会生活を送っているいち人間なので、全部できるわけなんてないのが当たり前くらいに捉えると、特にまじめな方は楽になれます👍

お勧めの本があるので、また別途、お伝えしたいと思います。

この聖典に書かれた戒ひとつひとつを守るのは、一般人にはまず不可能といってよい、と一刀両断、スッパリ言い切っている書籍もあります。矛盾や葛藤で苦しくなってしまったあなたの救いになればと思います。

また「離欲(ヴァイラーギャ)」とは
執着を手放し、心を軽くする姿勢のこと。
“欲をなくす”というよりも、“何が本当に必要かを見つめ直す”というニュアンスに近いもの、と捉えましょう。

「人間らしい私」を否定する必要なんてない

本来、より快適に生きるためのガイドラインである、こうした哲学的教えを学び知ることで逆に苦しくなってしまうこともあります。

  • 欲があるのはダメなの?
  • ネガティブな感情を持ったらアウト?
  • イライラしたらヨガ的じゃないの?

でも、そんなふうに自分を責めることは、それもまたヨガの本質とは少し離れてしまっています。

ヨガは、“気づきの練習”でもあります。インストラクターさんでよく「気づき」というフレーズを使う人、多いんじゃないかしら・・・?

私たちがどんな感情を抱えていても、「あ、今こうなってるんだな」とやさしく観察することができたら、それがもうヨガということ。目の前の感情、今この瞬間抱いた気持ち。ただ、それを受け止める練習をしています。

自分らしく、日常の中にヨガを取り入れるだけ

ヨガスートラの教えは、私たちを“良い人”にするためではなく、より心地よく、調和のある生き方を育むためにあります。守るべきルール”ではなく、より快適に生きるためのヒント、「自分を見つめ直す視点」として受け取ればいいのです。

「これができないからダメ」というジャッジではなく、「こうしたら、もっと軽く、自由に生きられるよ」というやさしい提案なのです。

  • 感情が波立った日も、ただ深呼吸して「そういう日だったな」と受け止める
  • 余計なことを言ってしまった夜は、「次はどうしたいかな?」と見つめてみる
  • 欲望が出てきたら、「これは本当に私を満たしてくれるかな?」と問い直す

それだけで十分、ヨガは生き方や日常としてあなたの中に根づいていきます。

ヨガに翻弄されるのではなく、上手に活用する

ヨガを学ぶことで、確かに私たちは日常の些細な選択にも敏感になります。それ自体はとても素晴らしいこと😊

もし今、
「ヨギー/ヨギーニ(ヨガ練習者)として、こんな自分じゃダメなんじゃないか」と思い詰めているなら、それはもう十分に、真剣に自分と向き合っている証。

だけど、もう少し肩の力を抜いても大丈夫!!私自身、ある先生からそのようなお話を聞けて救われたことがあります。ヨガに翻弄されるのではなく、ヨガは上手に活用するもの、と。

もし、「完璧なヨギー像」を追いかけることに違和感を抱く場合や、ヨガがあなたの人生のすべてではない生活ならば(多くの人はこちらと思います)、心が整う方向へ少しずつ歩くことの方が、ずっとヨガらしいと思います。

  • おいしいものを食べる喜びも
  • 感情の揺れも
  • 誰かと笑う時間も

全部があなたの人生であり、ヨガのために生きるワケでなく、ヨガのあなたの大切な人生を快適にするために、上手に活用できれば、万事👌

あなたがあなたらしくいられるため、より快適に生活するためにある、やさしい道しるべとして役立てて、ヨガを自分のペースで楽しみましょう🌿

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